見捨てられること イザヤ49:14-16 亀有教会牧師鈴木靖尋 2019.10.6
これから5回にわたって、night seasons「夜のシーズン」のメッセージをお届けしたいと思います。きょうは「見捨てられる」です。英語ではabandon, forsakeと言いますが、「捨てる」「放棄する」という意味もあります。もし、親から見捨てられた人、伴侶や親しい人から見捨てられた人、団体や人々から見捨てられたということはないでしょうか?もし、私は神さまからも見捨てられたと考えるならば、それは間違いです。イエス様はあなたを見捨てることはありません。
1.親から
イザヤ書49章には、世の終わり主がイスラエルを回復するという預言が記されています。14節、しかし、シオンは言った。「主は私を見捨てた、主は私を忘れた」。シオンというのは神殿が建っているエルサレムのことであり、それがここでは擬人化されています。エルサレムは紀元前6世紀、バビロンによって完全に滅ぼされました。70年後、バビロンから帰還した人たちによって神殿が建てられました。やがて、イエスが様来られました。ところが、エルサレムは救い主イエスを拒絶し、十字架につけてしまいました。紀元後70年、今度はローマによって滅ぼされました。そして、終末を迎えます。終末において、エルサレムは再建されますが、神殿はどうなるか分かりません。イザヤ書49章は、おそらく終末におけるさばきとイスラエルの回復、そして御国が建てられるという一連のことが預言されているのではないかと思います。シオンは「主が自分たちを捨てた」と言っていますが、主はそうではないとおっしゃっています。イザヤ40:15,16「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。」このみことばは、とても有名であり、多くの人たちがこのところから慰めを受けているみことばでありましょう。何故かと言うと、自分は親に見捨てられたという経験が少なからずあるからです。
まず、この文章を見て行きたいと思います。まず、女、母親は自分の乳飲み子を忘れることはないということです。また、自分の胎の子をあわれまない母親はいないということです。人間で最も崇高な愛は、母が子に対する愛です。親は我が子のためなら、自分の命まで捨てようとするでしょう。しかし、現実は、母の子に対する愛にも限界があります。いろんな理由があるにせよ、この世では、子どもを捨てる母親がいます。また、最近では子どもを虐待する親が報道されていますが、連れ子がいる女性が再婚すると、そうなるリスクが非常に高いと思います。母親はいるのですが、育児放棄されている子どもが数えきれないほどいるのではないでしょうか?そういう子どもが大人になっても、親から見捨てられたという心の傷は癒されることはないでしょう。世代間連鎖ということばがありますが、その親は、自分の子どもを同じように見捨てるような行為をすると思います。なぜなら、自分は親から愛されたという経験がないからです。しかし、聖書の神さまは見捨てられた子どもたちにどのようにおっしゃっているのでしょう?
たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。」わたしと言うのは、神さまであり、主であります。これはイスラエルに対することばだけではなく、私やあなたに対することばでもあります。「母親が忘れても、このわたしはあなたを忘れない。見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある」とおっしゃっています。「手のひらにあなたを刻んだ」とは、どういう意味でしょう?「刻む」のヘブル語は「ハーカク」でengrave「文字などを刻む、彫刻する。あるいはinscribe「石碑などに彫る」という意味があります。出エジプト記28章にありますが、大祭司アロンはエポデという12の宝石がはめこまれた前掛けみたいなものを身に着けていました。その1つ1つの宝石には、イスラエルの各部族の名前が刻まれていました。それと同じように、主はご自身の手の平に「あなたを刻んだ」のです。しかし、あなたの名前ではなく、「あなたを刻んだ」という意味はちょっとおかしいような気がします。英語の詳訳聖書はtattooed a picture of you「あなたの肖像を手の平に入れ墨をした」と訳しています。すごいですね。私も自分のこどもの2,3歳の頃を鮮明に覚えています。なぜなら、その頃、一番、可愛くて写真を多く撮ったからです。そして、アルバムも何度も見ているので、記憶の中に鮮明に残っています。だから、夢を見るときは大体、子どもの幼い頃です。神さまは私たちの名前ではなく、私たちの姿を克明に覚えておくために、手の平に入れ墨をするように刻んだとは、何ということでしょう。人類が写真やプリンターを発明する前に、神さまはそれができていたのです。
ニューヨークのスラム街の子どもたちをバスに拾って、CS伝道しておられるビル・ウィルソン牧師がおられます。ビルが12歳の時、お母さんが彼を連れて町にでかけました。お母さんが道の角で「ビル、ここで待っていて、すぐ戻ってくるから」と言いました。ビル少年はその道の角に立って、3日間も待ちました。しかし、お母さんは戻ってきませんでした。実はお母さんは離婚して貧しさに耐えかねて、ビルを置き去りにしたのです。デイブというクリスチャン機械工がビルを見つけて自宅に連れて行きました。そして、ビルをクリスチャンのサマーキャンプに出席させました。ビルはそこで神さまに人生をささげてクリスチャンになりました。ビルは高校を卒業した後、神学校に行きました。やがて、ビルは自分と同じような境遇にいる子どもたちのために、ニューヨークのスラム街で教会学校を開始しました。スラム街での活動はまさに命懸けで、2003年には路上生活者を訪問途中に強盗に襲われ、口に銃口を入れられ発射されたこともあります。この時、頰を打ち抜かれる重傷を負いましたが、一命は取り留め、治療を受けながらすぐに活動を再開しました。彼の活動は米国内だけでなく世界で大きな反響を呼び、現在は世界各地にある教会学校に約20万人の子どもたちが通っています。神さまが、ビル少年が道端に置き去りにされるのを計画したわけではありません。お母さんがビルを見捨てても、神さまは見捨てず、彼のマイナスの人生を益にしてくださいました。神さまはビルを、彼のように親に見捨てられた子どもたちに仕える人にしてくださったのです。
ヨハネ14:18「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。」親から捨てられた子どもは孤児です。この世の中で、孤児ほど可哀そうな子どもはいないでしょう。養育も受けられないし、この先、生きて行けいける保証もありまん。しかし、親が生きていても、孤児同然のような生活を強いられる子どもたちもいます。人が家庭で満たされるべき4つの基本的なニーズがあります。第一は安全であることです。第二は愛し、愛されるということです。第三は肯定されること。第四は、自分が生きている目的を知り、人生の方向を知ることです。もし、その子が、これらの基本的なニーズが満たされることなく、大人になった場合どのような生き方をするでしょうか?それは孤児の霊によって支配されて生きるようになるということです。親から基本的なニーズが満たされなかったので、今度は偽りのニーズで、自分を満たそうとします。第一、偽りの安全を得るために、所有物に頼ります。お金、物質、不動産をあてにします。ブランド品を身に着け、土地建物を持っていたなら自分は安全だと思うのです。第二、偽りの愛で満たそうとします。その人は、不道徳な性関係を求めます。マリリン・モンローはその典型です。モンローは幼少期のほとんどを里親と孤児院で過ごし、16歳で結婚しました。19歳でモデルにスカウトされ、まもなく、ハリウッドのトップスターなりました。女優になってから、野球のスター選手だったジョー・ディマジオ、さらには劇作家のアーサー・ミラーと結婚しました。ケネディ兄弟との不倫もありました。モンローは薬物乱用、うつ病、不安に悩まされていました。1962年8月5日、はロサンゼルスの自宅でバルビタールの過剰投与により36歳で死亡しました。第三、偽りの肯定で満たそうとします。地位や名誉という他人からの賞賛を追い求めます。それらを得るためには何でも犠牲にします。第四、人生の目的と方向を間違ったもので満たそうとします。権力、コントロール、操作によってであります。
本来は、安全、愛し愛されること、肯定、人生の目的と方向という4つの基本的ニーズは親から得るものでありました。しかし、それが得られなかったために、自分でなんとか得ようとするのです。しかし、それは偽りの満たしであり、「これで良い」という心からの満足がありません。いつも、不安と恐れと空虚感がつきまといます。イエス様は「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません」と言われました。第一にイエス様と「わたしとあなた」という親しい関係を持つ必要があります。イエス様はありのままの私を愛して受け入れてくださる救い主です。その次に、イエス様の贖いを通して、父なる神の愛を受ける必要があります。父なる神は、善き神さまであり、お父さん(パパ)であります。クリスチャンになっても、「神さま」とは呼べても、「お父さん」と呼べない人がいます。イエス様と父なる神さまは、安全、愛し愛されること、肯定、人生の目的と方向を与え、真に私たちを満たしてくださいます。アウグス・チヌスは「人間の心の奥底には、神にしか埋めることのできない空洞がある」と言いました。あえて言うなら、神は、父なる神であり、キリストの神さまです。「たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ」アーメン。
2.親しい人から
第二のポイントは、親しい人から見捨てられるという経験です。親しい人とは、恋人、伴侶、仲間、友人、上司などです。歌で最も多いのは「別れ」をテーマにしたものではないでしょうか?日本の演歌はほとんどがそういう歌でしょう。「津軽海峡冬景色」がそうです。外国の歌も結構そういう曲が多いです。「この胸のときめきを」「ラストダンスは私と」「サントワマミー」、私が良く聞いた1960年代の曲でした。なぜ、そういう歌が多いかというと、心の痛みを癒すためではないかと思います。別れること、見捨てられることは、辛い思い出であります。思い出す度に、心が痛むでしょう。日本では3組のうち1組が離婚していますが、人間は機械ではないので、後まで心の痛みが消えないでしょう。「出会い」があれば、「別れ」もあると言いますが、簡単に割り切れるものではありません。裏切られたり、喧嘩別れしたり、傷つけ合って惨めな思いをした場合は、心の深いところに沈めて、封印したくなるでしょう。でも、そういう辛い出来事すらも、神さまの御手にかかれば、「あれは、あれで良かったんだ」と後から思えるようになります。多くの人は、人だけではなく、神さまの前にも出さないので、そこから毒が漏出してきます。アメリカのある住宅地で、奇妙な病気が流行しました。しばらく原因がわかりませんでしたが、地下に何かあるのではないかと調査しました。すると、そこにドラム缶に入れられた化学工場の廃棄物が埋設されていることがわかりました。何十年もたって、ドラム缶が腐食して、そこから毒性の物質が地表に染み出てきたのです。同じように、心の奥底に過去の痛みを隠しておくなら、そこから毒が発生し、自分自身もそうですが、周りの人たちも汚してしまうでしょう。
聖書に見捨てられたような経験をした人はいるでしょうか?創世記ではヨセフのことが記されています。ヨセフが監獄にいたとき、パロに仕える役人たちが嫌疑をかけられて入って来ました。一人は献酌官(杯の毒見役)で、もう一人は調理官です。彼ら二人が夢を見たので、ヨセフが彼らの夢を解き明かしてあげました。献酌官は三日目に釈放され、もとの役職に戻ることができした。その前に、ヨセフは「あなたが幸せになったとき、きっと私を思い出してください。私のことをパロに話してください。私は投獄されるようなことは何もしていないのです。」とお願いしました。しかし、どうでしょう?創世記40:23「ところが献酌官長はヨセフのことを思い出さず、彼のことを忘れてしまった」と書いてあります。何と、ひどい。ヨセフはなおも、監獄に留まることになります。しかし、それから二年の後、パロが不思議な夢を見ました。エジプト中の呪法師、知恵あるものたちもその夢を解き明かすことができません。そのとき、献酌官長が「私はきょう、私のあやまちを申し上げなければなりません。私たちの夢を解き明かしてくれたヘブル人がいました」とパロに告げました。それで、ヨセフは地下牢から連れ出され、パロの前に出ました。そして、その夢を解き明かしてあげたので、パロはヨセフに第二の位をあげました。ヨセフはエジプト全土ばかりか、ヨセフの家を救ってあげました。ヨセフが2年間、見捨てられていたので、ちょうど良いときにパロが夢を見たのです。献酌官長はヨセフを忘れていましたが、神さまはヨセフを忘れてはいませんでした。ヨセフの人生ですばらしいのは、自分をエジプトの奴隷に売った兄たちを恨まなかったことです。また、エジプトのポテファルの家で仕えていたとき、彼の妻から毎日のように「私と寝ておくれ」と言い寄られました。上着を残して逃げたために、嫌疑をかけられ、地下牢に入れられました。ヨセフは地下牢でも腐らずに、務めを果たしていました。献酌官長から2年間忘れた時もそうだったと思います。そういうヨセフと主が共におられたので、ヨセフのために万事を益してくださいました。
新約聖書ではイエス様がユダヤ人たちから捨てられたことが書いてあります。マタイ21章に、ぶどう園のたとえ話が書かれています。家の主人がぶどう園を作り、酒ぶねを掘り、やぐらを立てて農夫たちに貸して、旅に出ました。収穫の時が近づいたので、自分の分を受け取ろうとしもべたちを遣わしました。すると農夫たちは、しもべたちを捕まえて、一人は袋叩きにし、もう一人は殺し、もう一人は石で打ちました。もう一度、別のしもべたちを遣わしましたが、同じような扱いをしました。最後に、「私の息子なら、敬ってくれるだろう」と思って、息子を遣わしました。すると農夫たちは「あれはあと取りだ、さあ、あれを殺して、財産を手に入れよう」と話し合いました。彼を捕まえて、ぶどう園の外に追い出して殺してしまいました。主人は「怒って、農夫たちを容赦なく殺して、収穫を納める別の農夫たちに貸すであろう」というたとえ話です。このたとえの家の主人は神さまであり、しもべは預言者たち、そして息子はイエス様です。ユダヤ人はイエス様をエルサレムの外に連れ出して、十字架にかけて殺しました。このたとえのあと、イエス様は詩篇118篇のことばを引用しました。「家を建てる者たち見捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。」イエス様はユダヤ人から捨てられましたが、教会の礎の石になったということです。パウロは、「ユダヤ人が躓いたので、救いが異邦人にやってきた」とローマ11章で述べています。つまり、私たちの救い主イエスは、ユダヤ人から一度、捨てられたのです。私たちの救い主イエスは、人々から捨てられた経験があり、その痛みをよく御存じであるということです。
ところで、讃美歌312番「いつくしみ深き」の3節は「世の友われらを棄てさるときも、祈りにこたえていたわりたまわん」です。聖歌607番「つみとがにのう」の3節は「なが友は笑い、迫害すとも、主はなれをいだき、なぐさめたまわん」です。私はこの歌を400回以上は賛美したと思います。なぜなら、結婚式の司式が250回くらいあるからです。葬儀でもよく賛美します。賛美の度ごとに、自分を捨てた友たちのことを思い出して泣いたものです。私がイエス様を信じて6月に洗礼を受けました。ところが、7月、彼女から呼び出しをくらい、別れてほしいと言われました。何故なら、会うたびに「神さま」「神さま」と言うからです。後から分かりましたが、彼女は私の友人のところに通うようになりました。私は一度に二人の友をなくしました。私は裏切られた悔しさで、夜な夜な、包丁を持って復讐してやりたいと思いました。そして、毎週、日曜日の礼拝で泣いていました。嗚咽しながら泣くので、大川牧師が心配して近寄って来られたこともありました。12月、青年会の人たちと一緒にクリスマス会を準備して、ようやく治まりました。私は友を失いましたが、教会で新しい友と出会いました。その後、現在の妻と結婚することができるようになりました。神さまが1つのドアを閉じてくださったので、新しいドアが開かれたのです。今では、「あれはあれで良かったんだ。これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである」と言いたいです。
ジョエル・オスティーンのお父さん、ジョンのことです。彼は貧しい綿農家で生まれ、17歳でイエス様を信じて献身しました。19歳で結婚しましたが、うまくいかず2年で離婚しました。教会の人たちは、離婚した聖職者は二度と用いられないだろうと言いました。しかし、33歳の時、看護師のドディと再婚しました。ジョンの牧会は祝され、新会堂を建てることができました。ジョンは中央バプテスト教会の理事にもなりました。ジョエルの妹、リサが生まれました。彼女は生まれた時にへその尾がからまったのか、脳神経に麻痺がありました。医者はこの子は一生車椅子の生活を送ることになるだろうと言いました。ジョンは、イエス様が大勢の病人を癒している聖書の記事に目が留まりました。ジョンは、聖書から神が人々を癒してくださること、また、勝利的で豊かな人生を与えてくださるという説教をするようになりました。驚いたことに、会衆は彼の新しい説教を好みませんでした。また、その教えは教団の教えとは合いませんでした。結果的に、ジョンは教会を去ることになりました。ドディと長い間、親しい友であった人たちは口も利きませんでした。ジョンとドディ夫妻は、裏切られたという深い心の傷を受けました。しかし、神さまは新しいドアを開いてくださいました。飼料を売っていた古い建物を借りて、90人から再スタートしました。ジョンは、はっきりと聖霊の賜物を宣言すると共に、世界宣教を企てました。講壇に世界の国旗を立て、屋根には「世界宣教センターLakewood Church」という大きな看板を立てました。間もなく、数千人の会衆になりました。テレビの放映を16年間続け、何百万人ものアメリカ人と海外の人たちに伝道しました。ジョン・オスティーンは召される1週間前まで説教し、1999年、78歳で召されました。教会の牧会とテレビの放映は息子のジョエル・オスティーンが後を継ぎ、拡大しています。教会と教団が捨てても、神さまはジョンを棄てませんでした。
ダビデは多くの詩篇を書いたイスラエルの王です。ダビデは「ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました」(詩篇51:5)と、誕生に疑問を持っています。サムエルがお家にやって来たとき、彼は呼ばれませんでした。サウル王に忠実に仕えていたのに、いのちを狙われ、10年以上も荒野や洞窟を逃げ回りました。イスラエルの王になってしばらくしてから、息子のアブシャロムに裏切られ、国を追われました。ダビデほど、人から裏切られ、人から捨てられた経験のある人もいないでしょう。しかし、ダビデはいつも主を信頼していました。ダビデは罪を犯しましたが、神さまから最も愛されたイスラエルの王でした。これはダビデの祈りであり、告白です。詩篇62:1「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私は決して、ゆるがされない。」
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